曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

八分目の生活を [1667 H24年7月9日〜7月15日]

静岡県浜松市 西光院住職 桐畑守昌 老師

お盆の時期が参りました。地域によっては7月盆や8月盆であったりします。また供養の仕方も様々で、各地域性がみうけられます。
しかし、お盆を迎える気持ち供養の気持ちは誰でも同じと言えましょう。

お盆には施食会が行われますが、読んで字の如く、食べ物など生きとし生けるもの、即ち衆生といいますが、その衆生に施しの行いをすることを根本とします。
施しの行いの仕方は人それぞれでしょう。ご先祖様に生前好まれた物を供えたり、また常に慈悲の心をもって生活したり、また先の大震災の被災者に対するボランティアもその一つでしょう。

私自身一つ思うところがあるのですが、施しを受ける者は満足を求めているのでしょうか?昔から「腹八分目」といわれますが、あらゆる欲すべて満たされると人はどうなるのでしょう。例えばお腹いっぱい食べると、どうしても体を動かすことが面倒くさくなったり、眠くなったりしませんか?また、欲しい物が手に入ったりして、しばらくするともっと良い物を求めたりしませんか?人間のもつあらゆる欲は限りがありません。そこでお釈迦様、道元禅師様がお示しされた「知足…足りるを知る」ことが大切な教えとなって、欲という煩悩を取り除くことが出来るはずです。

私のご本山での修行した同期の一人の方がいます。彼は47歳で出家し、ご本山へ修行に来られました。出家するまでは年商何億という会社の社長でしたが、突然辞任して出家されたのです。何故年齢もさりながら、地位も名誉も財産を放棄して出家したのか訪ねました。すると、「いやあ、お金や地位、名誉とかすべて満たされたら不自由ということが無くなって、これから生きていく目標とか見えなくなったし、急に空しくなって出家したんだ。そうしたら心が急にスカッとしてねぇ」と、話をしてくれました。
この彼の言葉は今でも私の心の中に残っています。

彼の話のように満足を求めるのではなく、「八分目」または、良い加減の心をもって生活をしてみませんか。残りの二分目は何かしらに施しをしてみませんか。その先には仏様に近づける何かがあるのかもしれません。それは皆様自身がそれぞれ心で感じられることだと思います。

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