道元禅師様は食事を作る事、いただく事を大切にしていました。道元禅師様の書かれた「典座教訓」や「赴粥飯法」に目を通しますと良く分かります。徹通禅師は道元禅師様のもとで、典座職につかれて「喜心」「老心」「大心」の「典座教訓の三心」を護られました。
「喜心」(きしん)とは
喜び感謝の心です。食事を作り、三宝に供養できる事、巡り合わせの因縁によって、感謝し、他人の利益に供する喜び、勉める人間に生まれ、仏の教えに出会えた事への法悦の喜び、喜悦の心です。
「老心」(ろうしん)とは
父母が、我が子の事を思い、わが身の事を忘れ、ただ一心に子の成長を願い、慈しみ育てるように食事の準備をし、食事を作る思いやりの心、親切心です。
「大心」(だいしん)とは
大山の如く、高く大きな不動心、大海の如く、広くゆったりとした深い心です。一方に偏ったり、固執せず、差別することのない平等で大きな心。偏らない心、とらわれない心、寛大な心です。
食事のため、食材として命を提供してくれた食材や、食事を作っていただいた方、食事のお世話をしていただいた方に感謝の気持ちを持っていただきたいものです。
私たちは生きていく上で、色々な食材となる動植物の命をいただいて生きているのだから、私たちを生かしてくれている動植物の命に感謝し、食事を作り、いただかなくてはいけないのだと思います。
食事の前の「五観の偈」の意味を理解すると、食事を作る事、いただく事の大切さが良く分かります。
一つには、功(こう)の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る
「今からいただく食事が、多くの人々が関わって出来たかを考え、多くの人々に感謝します」
二つには、己が徳行の全欠を(ぜんけっと)忖って(はかって)供に応ず
「自分の行いが、この食事をいただくに値するものであるか考え、反省し感謝します」
三つには、心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗とす
「自分の心を正しく保ち、あやまった行いを避ける為に、貪など三つの過ちを持たない事を誓います」
四つには、正に良薬を事とすることは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり
「食とは良薬なのであり、身体を養い、正しい健康を得るためにいただきます」
五つには、成道のための故に今この食を受く
「今からこの食事をいただく事は、自分の道を成し遂げる為にいただきます」
「いただきます」
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