曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自分を見つめる時―お彼岸について− [1676 H24年9月10日〜9月16日]

三重県南牟婁郡 林昌寺住職 服部真覚 老師

秋のお彼岸の時期がやって来ました。毎年、春と秋、それぞれ春分の日と秋分の日を「中日」(ちゅうにち)として、その前後の三日を合わせた「七日間」を「お彼岸」といいます。この一週間は、お寺参りやお墓参りをして、仏さまの教えによって善き行いをする期間とされます。とくに「お彼岸だから」というわけではないでしょうが、この時期は、意識して、日頃は流されている自分を見つめて、再確認し、軌道修正する大切な時期といえましょう。

「彼岸」とは「彼方(かなた)の岸」と書きます。それは「此岸」(こちらの岸)に対応しています。つまり、煩悩の激しい流れ、激流であるこちらから、修行によってそこを渡り、彼岸である「安らぎの境地」に入ることを意味します。こちら岸とは、私たちが、いろいろな問題で悩み苦しんでいる、煩悩に支配されてウロウロしている世界です。そのような心の状態です。煩悩とは文字通り、わたしたちを「煩わし悩ます心のはたらき」で、カッとなって腹をたててしまうこと、むさぼりの心、うらやましいと思うことなどと、落ち着いて観察するとたくさんあります。

 ご先祖様の供養をして、仏さまの教えを聞く。命のつながりを再確認して、気づき、感謝する。つながり、よき流れが自分にも力を与えてくれ、また、元気に歩き始めることが出来るのではないでしょうか。

 お釈迦様に「どのようにして、あなたはこの激流を渡ったのですか」と質問した人がいました。その答えは次の通りです。
  「わたしは、立ち止まることなく、あがくことなく、激流を渡りました。わたしは立ち止まる時に沈み、あがくときに溺れるのです」

 大切なことが語られていると思います。歩み続けなくてはならないが、焦ってもダメだと。

 さて、お彼岸、この時期に、もう一度、今の自分、生かされている自分というものを見つめてみたいものであります。

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