曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

小水 石を穿つ  [mト放送 2月11日〜2月17日]

岐阜県恵那市 盛巖寺住職 近藤昌弘 老師

お釈迦様は2月15日、沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に横たわり、80歳で入滅されました。その直前に、残された弟子達のため、仏道や人間生活の基本的なあり方をいろいろと示されたお言葉を残されました。その後このお言葉を経典としてまとめたものに「仏遺教経」(ぶつゆいきょうぎょう)があります。
 お釈迦様は、この中で「汝等比丘よ、もし勤めて精進すれば、すなわち事として難きものなし。この故に汝等まさに勤めて精進すべし、例えば、小水の常に流るれば、石を穿つがごとし。」と述べられています。
「長い間の少しの水、雨だれの一滴一滴の小さな力が、ついには大きな岩に穴を開けてしまうように、あなたたちも毎日休まずに、修行に励むならば、どんな事でも成し遂げられる。」と説かれているのです。
 私が18年ほど前、大本山総持寺で修行をしていたある時、先輩の修行僧から、「雑巾がけは、そこだけをきれいにしようと考えてするのではなく、毎日毎日同じところを掃除していれば、結果として自然ときれいになっているものだ。それが修行なのだ。」と言われました。「そこが汚れているから掃除をしよう」ではなく、毎日掃除を続けることできれいになるということなのです。
 ある漬け物のCMの文句に「日々これ丹精」というフレーズを耳にしたことがあります。何かものを作り上げるということは、決して一日ではできない。日々の努力によってはじめて素晴らしいものが出来上がるのです。
 私どもの人生も同じではないでしょうか。自分を作り上げるというのは、自分が決めたどんな小さな事でも、一生をかけて行ないはじめてそれが自分のものとなるのです。
 日々の生活で一つの事を続けることは大変な事です。しかし、素晴らしい人生をおくれたと思うためにも。私どもは自分を高めるために「日々精進の心」を持ち、日頃の生活をしたいものです。

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