曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

軽い槍と重い槍 [1707 H25年4月22日〜4月28日]

愛知県豊橋市 原中寺住職 岡本正永 老師

思いやりという言葉を聞くとすぐに思い出す出来事があります。私が小学生のときの、ある担任の先生の質問でした。
「昔はね、鉄砲ではなく槍を持って狩をしていたのだけれども、軽い槍を使っていたそうなのだ。ところで、その反対のものをみんなは持っているかな?」私は、「え〜、何のことだろう」と、その時は答えが出てきませんでした。「簡単だよ、答えは、重い槍だよ、軽い槍の反対だから重い槍だろ(思いやり)」・・・そう聞き、あぁ〜なるほどと思いました。そして重い槍ではなく思いやりの意味を説いてくれました。
思い遣りを辞書で調べてみますと”他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち、とあります。まさにそのとおりですが、では細かく見て、思いやりの“遣り”はどうかといいますと、聖徳太子の時代に出てくる”遣唐使”の遣、“つかわす”という字をあてます。その意味の中に、”一部を割いて差し向けること”とあります。割くというのはやや大げさですが、この意味がぴったり当てはまるのではないでしょうか。ただし、差し向けるといっても、こちらからの一方的な自己満足によるもの、見返りを求めるものではなく、また差し向けられた相手にとって、求めたものでも押し付けられたものでもないこと、また結果としてお互いが気持ちの良い事、そして差し向ける側のさせて頂くという謙虚な気持ちがあることが大切だと思います。
今は、この思いやりという言葉をなんとなく使っていますが、この言葉についてきちんと考え、学び、意識した機会は私にとってこの時が初めてだったと思います。このような機会を与えてくれた先生に感謝し、また今の子供達にもそのような機会をもって頂きたいと思います。
人間は沢山の人々とのかかわりの中で生きています。またかかわり無しでは生きていけません。そこで生まれるご縁に感謝し、軽い槍の反対のものをきちんと大切に持ち、投げやりではない日々の生活を送ってゆきたいものです。

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