曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
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桜の木からのお便り [1708 H25年4月29日〜5月5日]

静岡県 西光寺住職 桐畑守昌 老師

遅咲きだった桜もすっかり青々とした葉桜の季節になりました。師匠のお寺の境内には沢山の桜の木がありますが、一本だけ山門の脇に生えています。
この桜の木から教わることがあります。それは厳しい冬の寒さに耐えて春彼岸を迎える頃になるとぽつぽつと蕾が増え、除除に開花宣言と共に花が咲き約二週間ほどで花は散り、その後は薄緑の葉が出始め夏に向かって一気に青々とした葉桜になり、秋になるとだんだん一枚一枚葉の色が茶色にかわり、冬が近づくとはらりはらりと葉がちっていきます。このようなことが当たり前のように毎年繰り返してきたのです。
この桜の木にとってあたりまえの毎日が我々の人生と重なるような気がします。
諸行無常という教えがあります。この無常観という教えを無言で伝えてくれていると私は感じるのです。特に日本は昔からこの無常観を感じ取っています。かの有名な「平家物語」の冒頭には「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響き有り」ですとか、方丈記には「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にはあらず」とありますが、それらから伝わってくる印象はものの哀れやはかなさなど暗い印象を感じさせます。
しかしこのような印象の無常観が仏教のとらえ方ではありません。後ろ向きの考え方ではなく、前向きな考え方をすることが大切です。桜の木の蕾が開いて美しい花を咲かすことも、花が散って次の花を咲かせるための成長も無常だからこそなのです。ですから形有るものが必ず滅びゆきますが、同時にあたらしい命の誕生や成長意味することをよくよく理解し、この無常なる人生の中でいかに生きていくべきか、後悔のない充実とした生き方を心がけて毎日を今何を為すべきかを考えて共に今を大切にこれからの人生をおくりたいものです。それが桜の木からのお便りです。

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