曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

この身を楽しむ [1709 H25年5月6日〜5月12日]

静岡県 龍泉寺住職 井上哲秀 老師

生活の中で、物というのは増えていきます。ほとんど使わない物も多いと思います。いつか使えるとか、思い出の詰まったものとか。
今年、私は大掛かりな整理をしました。というか、大掛かりになってしまったと言った方が正しいのかもしれません。兎に角、二年以上使ってないものは片っ端から捨てました。
物に触れては思いだし、物を目にしては思いだす。こんな所にあったのかという物もありました。そんなことを繰り返しながら整理をしていきました。
そんな中、今まで大きな勘違いをしていた自分に気がつきました。それは、物は目にしたり手に触れないと何の役にも立たないということ。物の方に思い出が詰まっているのではなく、物は思い出を呼び起こす一つのきっかけであり、物を失っても思い出が失われるわけではない。この身があるところで物は生かすことが出来、この身のあるところに思い出がある。物に執着する必要はなかった。
それからの片付けはスムーズでした。終わってみれば、こんなにも物があったのかと驚きました。それと同時に、私自身も随分と軽くなりました。晴れた日には何を感じ、雨の日には何を考え、花に触れて何を思い出し、落ち葉を見て何を願うのでしょう。私自身にもそれは分かりませんが、今この身を楽しんでいきたいと思っています。

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