曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自然に生きる [1713 H25年6月3日〜6月9日]

静岡県 冨慶寺住職 加藤豊彦 老師

6月、この時期になると、梅雨前線がやって来て、日本列島は長雨にみまわれます。梅雨のじめじめとした、この時期は私たちには過ごしにくいものです。ふと窓の外に眼をやると、アジサイが青や紫、ピンクの花を咲かせています。アジサイは別名を「七変化」や「八仙花」などといい、開花してから時間の経過と共に薄くなったり、土の成分によって花の色が違ったりと、見る者を楽しませてくれます。
アジサイは、あの人には自分の美しい姿を見せてあげよう、この人には見せないようにしようなどとは思わず、精一杯咲き誇って、すべての人の気持ちを等しく晴れやかにしてくれます。アジサイだけではありません。紫や白といった綺麗な花を咲かせる花しょうぶ・光を放ちながら乱舞する幻想的な姿の蛍、さらに太陽の光、川や海の水の恵み、大地を吹きわたる風など、それらは人に感謝してもらいたいと思いながら在るのではなく、それぞれ任された役割を黙々と営み続け存在しています。それが自然なのです。
私たち人間はどうでしょう。誰かに認められたくて、誰かに評価してもらいたくて、見返りを求めて日々過ごしていませんか。そんな思いだけで家族や友人、周囲の人たちとかかわっていませんか。その願いがかなわないと、何故かなわないかと悩み、ときとして周囲のせいにしたり、他人の心や身体を傷つけたり、また、そんなことをしてしまう自分を責め、自分を嫌いになったりして、苦しんでいます。
人間も自然の一部なのです。自分さえよければいいという自分中心の考えを捨て、私に任された役割を精一杯努めていくことが、自然の中に生きる人の姿ではないでしょうか。
修証義に「露命を無常の風にまかすること勿れ。無常慿み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身己に私に悲ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」と説かれています。命というものは、アジサイの葉の先に付いた一滴の露と同じ、危ういものなのです。風が吹けばほんの一瞬で吹き飛んでしまいます。自然の世界は常に移り変わっていて、一瞬たりとも同じ状態で停まるものはないのと同じ、私たちの命は永遠不滅のものではありません。自然と一体となって限りある命を生き切りたいものです。
梅雨の長雨は稲などの作物にとっては恵みの雨です。たっぷりと水分を吸収することで稲の命が生きます。冒頭で「梅雨は過ごしにくいもの」と言った私も、まだまだ自分中心なのかもしれません。

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