曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

いがみあいからおがみあい [1719 H25年7月15日〜7月21日]

三重県 光明寺住職 山口正倫 師

お釈迦様は私たちが生きるこの世を「娑婆」と言われました。「娑婆」とは忍土(堪え忍ぶ処)とも表現されます。あらゆるものはうつりかわりを免れず、世間では争いが絶えず、本当のことは言えない。私の思い通りにはならない処です。どうしてそんな大変な処に私は生まれてしまったのだろうと思ってしまいます。ところが曹洞宗の修証義第五章行持報恩の巻の中にこのような言葉があります。
「願生此娑婆国土し来たれり」
道元禅師様によりますと、私というのはこの世に生まれたいという願いを持って生まれてきたのだそうです。どうしてこの世に生まれるという願いを持つのでしょう。次にこの一文があります。
「見釈迦牟尼佛をよろこばざらんや」
お釈迦さま、お釈迦さまの教えに出逢うためだったのです。「よろこばざらんや」(よろこばずにはいられないでしょ?)と有るということは、もう私たちは出逢っているということです。
 道元禅師様はあらゆる物事がうつりかわって変化していくことを免れないこの世こそが、お釈迦さまの教えの場所、修行の場所ととらえなさいと説かれているのです。私もあなたもお互いに「願生此娑婆国土し来たれり」という存在なのです。永平寺や総持寺などの修行道場で、修行している雲水さんが廊下ですれ違う時お互いに合掌しておじぎをしあっている写真や映像をご覧になったことはありませんか?先輩・後輩、老僧・若僧に関係なくお互いに合掌しておじぎをします。お互いがこの世に願って生まれてきたのだとういうことでお互いを拝んでいるのです。「ああ、あなたもお釈迦さまにお会いにおいでになったのですね。」こうおなかの中に入れておいて頂くと、いがみあう「娑婆」から拝みあう「浄土」にほんの少しずつでも「この世」が変化をしはじめます。

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