曹洞宗のお経、修証義の中に「人身得ること難し」という一文があります。私たちが今、人として生まれ、生かされてきたことは容易なことではないということ。さらに「仏法値うこと希なり」仏様の御教えに出会えたことは奇跡のような幸運なことであると説かれております。人は自分ひとりでは生まれてくることは出来ませんし、育つことも出来ません。しかし、勉強や努力でいろいろ環境を作り変え、より良い社会生活を営む術を持っております。ですが、それらは両親を始め多くの人たちの愛情と協力によって成り立ってきたものです。仏教ではこれらの繋ぐことを「縁」と言い、出会い、発見、別れなどもあると思います。これらを毎日ある無数の「縁」によって今「私」という自己が存在し、また「あなた」という他者と結びつき育んでいます。誰しも「縁」なくして今はありえません。今というものは「縁」によって成り立っています。
私たちはお盆やお彼岸、お年忌の時にはお寺やお墓にお参りに行きます。近しい人や親しい人のご供養をするためです。「もう早いもので亡くなってから何年も経ちました」「もう私も親の年に近づいてきました」など、亡くなられた方と同じ季節年月を経て私たちもまた年をとっているわけで、その間に家族や子や孫へいろいろな「縁」をつないでいるのです。亡くなられた人を思い供養をするとき、私たちは改めて自己を見つめ直し、生かされている自分、生きている自分を自覚し、ここまで育んでいただいたことに感謝の心を起こすことが仏教の教えだと思います。
自分もいつかは死が訪れてまいります。しかしそれは自然の摂理として受け入れ、今生きていることに精一杯、一生懸命にその瞬間を生き切るということが大切で、また誰にも出来うることだと教わってきました。私たちも自分にあった人生というものを持っています。「余命」なんて余った命を持っている人はおりません、たとえ死の寸前までも精一杯生ききっての人生なのです。さらにお釈迦様の教えを加味していくことで深く素晴らしい人生になっていくことでしょう。
この場を作るに当たりご尽力された方、今までに出会い「縁」を頂いた方々、この話を聞いていただいた方に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。
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