曹洞宗をお開きになった、高祖道元禅師様は「威儀即仏法」という言葉を随所に示されております。これは、私たちの普段の生活の中にこそ仏法の極意があるという意味です。
また、「行住坐臥」という言葉がありますがこれは、行く、住まう、坐る、寝るという日常の行動をいい、これを四つの「威儀」といいます。禅宗では、朝起きて顔を洗う事、食事をいただくこと、歩くこと、坐ること、寝ることなど日常生活の全てが修行であり、こうした普段の生活の中にこそ仏法は存在していると考えます。
しかし、私たちの生活を振り返ってみると、「行住坐臥」の生活リズムが乱れている人がとても多いように思います。そうすると、心の不安や体の変調をきたしかねません。「行住坐臥」が正しく整えられた状態を保ってこそ、心の安心はえられるのです。
また、道元禅師様は「正法眼蔵 洗浄」の巻には「作法是れ宗旨なり」と説かれております。ここでは、爪を切り、髪を剃り、大小便を作法通りにすることは即ち、己の身心を清らかにすることであり、これらの作法は、それ自体が宗旨を体現したものであると説いているのです。
私も、道元禅師様がお開きになられた大本山永平寺での修行時代にはまず初めに、一つ一つが細かく決められた基本的な生活作法を厳しく教わりました。最初はなぜ、すべての作法が厳格に決められているのか、そしてなぜこんなに厳しく指導され、身につけねばならないのか疑問に思っておりました。しかし月日が流れ、作法が身についてくると、その真意がだんだん理解できるようになってきました。
人の心というのは、常に揺れ動いており、心の起伏はそのまま身体の外に表れます。例えば、嬉しい時には顔がほころんだり、怒った時には言葉が乱暴になったりするでしょう。つまり、逆にいえば規律や作法に則った行動をすれば、人の心は安らかになるのです。また、そうした行動は、それを見ている人たちの心も、同時に動かすと思います。
そのため私は、今でも常に自分の身なりや行動に気を付けています。そのこと自体が仏法なのだという道元禅師様の言葉に出会い、また自分にもその心が芽生えたからです。
皆さんも、時には自分の「行住坐臥」を振り返り、美しく、正しい生活を送るように心掛けてみてはいかがでしょうか。
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