そのお宅では、数年前に、お子さんを病気で亡くされていました。命日のお経の後、亡くなった子の母親が、涙を浮かべながら話されました。
「もう何年もたつのに、思い出すと泣けてしまうんです。早く忘れなさいって言われるんですけど、忘れるなんてできなくて」お子さんのことを思うと悲しみがこみ上げてきた様子でした。私はこう言いました。「忘れなくていいんですよ。忘れることなんかできませんよ。お母さんが憶えていてあげなきゃかわいそうですよ。」
檀家さんは、安心した様子で「そうですよね。わたしが憶えていてあげないと」とそして、つづけて言われました。「この子が亡くなったときには、まわりからいろんなことを言われたんですよ。もともと、いなかったと思って、あきらめろだとか、次の子を産めばいいとか。でも、この子はこの子で、だれも代わりはできないのに、そんなことを言われて、この子がかわいそうで。」様々の言葉が、ずっとこの母親を苦しめていたことがわかりました。私はこう言いました。「その人たちは、いじわるでいったんじゃないんですよ。
悲しんでいるあなたのために何か言わないといけないと思って、かえって、そんなひどいことを言ってしまったんです。許してあげてくださいね。」
檀家さんは「そうですね。ほかの人にはわかりようがないですものね。」そういって、お子さんの写真を見つめていました。まわりの人の言葉は、思いやりから出た言葉ですが、母親の気持ちを想像することもなく、自分の思いを押し付けたにすぎません。悲しみの原因は子供だから、その存在を否定してしまえば、悲しみを取り除ける・・・と考えたのです。しかし、母親が求めていたのは、おそらく子供さんのことを惜しんだり悲しんだりしてくれる言葉だったと思います。
悲しみを取り除くことがやさしさだと、多くの人が思っています。でも、十分に悲しんだうえでないと悲しみは消えません。ならば、その悲しみをともに味わうやさしさだけが、私たちのできることなのでしょう。
「ともに泣きともに笑うは仏なり やがては止まん夜の嵐も」
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