先日お盆のお参りに伺ったときの出来事でした。木魚を叩こうとすると、木魚の下に置く丸い座布団がなく畳みの上に置いてありました。畳みの上に置くお宅もあるのかなと思いお経を唱えさせていただきました。お経を唱え終わるとおうちの方から木魚の座布団出し忘れました。といわれました。普段、子供が遊びにくると仏壇の前で木魚とりんをおもちゃにして何度も何度も鳴らすのでそれがうるさく、隠しておいたそうです。
仏壇の前で木魚とりんを鳴らすことを子供はなぜ知っていたのでしょう?それは、普段おじいちゃんやおばあちゃんが線香を立て、ご先祖様をお参りしている姿を後ろから見て、その姿をまねして木魚やりんを鳴らしていたのでしょう。
普段わたしたちは、子供に見られているとは、気にせずに生活しています。言葉遣いや、食事の仕方、子供が見ている中で気にせずにいます。しかし子供は、親のまねをし、おじいちゃんやおばあちゃんのまねをして、一つ一つ学んで成長していきます。木魚やりんを鳴らすのもその一つで、おじいちゃんやおばあちゃんのまねをして鳴らしだしたのでしょう。それは、子供が仏壇の前に自然と行ける大切なことではないかとおもいます。親が仏壇の前でりんや木魚を鳴らし、手を合わせお参りしている姿を見ているからこそ子供たちも自然と仏壇の前で座るようになり、手を合わせ、ご先祖様の有難さを学んでいくのではないかと思います。
子供たちが仏壇の前に行く習慣をつけるのも私たち大人の役目ではないかと思います。家族そろって仏壇の前で座り手を合わせる時間を作ってみてはいかがでしょうか?
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