こんにちは、今回は食事を頂く資格についてお話しさせて頂きます。
みなさんは、お家で或いは外出先で食事をしたとき、処分されるであろう残った食べ物を目にしたことはありますか?
あるとすれば、恐らく「勿体ないなぁ」と思ったはずです。
そして、世の中には飢餓に苦しむ大勢の人たちがいることを思い、食べ物を処分することに後ろめたさを感じたことでしょう。
今、日本の食料廃棄率は世界でも最悪だとか、どこで生き方を誤ったのでしょうか?
昔、親が手をつけずに持ち帰った折詰めを兄弟で我先に食べた懐かしい記憶もあります。
でも、最近はお店の都合でそれも断られることが増えてきました。
だからという訳でもありませんが、宴会の後片づけに迷惑をかけながら、ひとりポツンと残って食べていることも時にあります。
曹洞宗の食事作法「五観の偈」の第二に、「二つには己が徳行の全缺を忖って供に応ず」というお唱えがあります。
果たして食事を頂くに相応しい修行と功徳が円満に缺(欠)けることなく自分に具わっているか、と推しはかり自問する訳です。
五観の偈の中でもこのお唱えは私にとって、かなり厳しい唱えごとになっています。
このお唱えに照らし、食べ物を粗末にする者に食事を頂く資格が具わっているのか、と問うとき、その答えは「いいえ」です。
「いただきます」とは、私の命を繋ぐため他の生命を奪うことでもあります。
少なくとも生命に対する礼儀として粗末にしない頂き方を心がけたいと願っています。
後ろめたさを感じるうちに、正しい道に引き返す勇気が私たちには必要です。
「五観の偈」を導き手に、食事に対する姿勢を通して、自分自身の生き方を見つめて参りましょう。
※「五観の偈その一」は、1626にございます。
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