よく聞くという事があります。
人の話でも物音でもよく聞く、というのは別段何の造作もないようで案外出来ていないことがあります。自分が空っぽでないと、よく聞く、というのはなかなかできない事です。
人の話を聞くといいながら、いつの間にやら自分の自慢話・苦労話の披露や、あるいは自分の意見や自分のこだわりを延々と、など。人の話を聞くはずだったのに結構傍迷惑な時もあります。
ろくでもない事にいつまでも気持ちがとらわれていて周りの物音が耳に入ってこないと、電信柱におでこをぶつけるくらいならよいですが、時に危険な目に遭いかねません。
どんなに素晴らしい話を聞いても、どんなに素晴らしい機会に恵まれても、自分自身が自分の言い分でいっぱいだと何の感動もない人生で終わってしまうでしょう。何物も入ってくる余地がないのですから。
自分が空っぽとは、臨機応変、機に臨み変に応じてきちんと行動できるし振舞う事ができる。また、他人の様子はよく分かる、見るもの聞くものなんでも面白い。葉っぱ一枚の落ちる様子、カラスがカーと鳴いている、何でもです。日日是好日という現実です。これが、自分が空っぽであってよく聞く、という様子です。別段、特別な能力とかすばらしい境地とかいうものでもないのです。見たり聞いたりする事は、目が見えて耳が聞こえるならば教えられて身につけるまでもなく、だれでも具わっている事です。誰だって産まれつき臨機応変、日日是好日に生きています。
本当に人の話をよく聞く、という時、全然そんなつもりないのに大変な人助けになります。思いやりをもってとか助け合いとか、それは素晴らしい事です。ですけれども、お思いやりとか助け合いとか、自分にそんな説明書きは不要です。自分に説明書きを付けると段々と自分が偉くなってしまいます。自分が偉くなってしまっては、人の話を聞く事はできません。自分という取り得のない全くの只の人ほどよく聞く事が出来ます。
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