永平寺での修行を終え、東京で二度目の学生生活を送っている私の移動手段は、専らバスや電車です。
修行中学んだことを生活の中に生かそうと私が実践していることの一つに、人の為に尽くす「布施」の実践があります。そうです。布施とは、皆さんがお寺にお包みする「お布施」の布施です。布施には、「無財の七施」と言って、お金や物が無くても実践できる布施があります。笑顔で人に接すること、優しい眼差しを向けること、体を使って人に尽くすこと等です。
その中で私が心がけているのは「床座施」と言って、必要な人に座席を譲ることです。 炎天下で赤ちゃんを抱いてバスを待っていたお母さんが、ホッとした様子でバスに乗り込んできたり、満員電車にお年寄りが乗車してきた時など、「こちらへどうぞ」と、席を譲ります。「有り難う御座います。有り難う御座います。」と何度も頭を下げるお年より、満面の笑みで「助かります。」とお礼を言って下さる乳飲み子を抱いたお母さん。そんな時、私は「良いことをしたな」と、清々しい気分になれます。
しかし、時には何の愛想もなく当たり前のように席に着く人もいます。私は、心の中で呟きます。「何だ、この爺さん、いい歳して常識がないな。」と。
そして知るのです。床座施という布施の実践をしているつもりで、全く布施行になっていない自らの未熟さを。
永平寺を開かれた道元禅師さまは、「布施とは貪らないことだ、貪らないとは、世間で言う、諂わない、ということだ」と。
良く思われたい、お礼の言葉が欲しい、そんな貪りや諂いの思いを内に秘めた私の床座施は、未だ未だ未熟です。
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