先日、御浜町町立尾呂志学園小学六年生の寛太君から思いもよらない一通の手紙が私の元に届きました。
その内容は
【拝啓
校庭の早咲きの桜が咲き始めましたが、お変わりありませんでしょうか。
先日は四十九日の法要をしてくださり、ありがとうございました。
亡き祖母も喜んでいると思います。
一年忌もよろしくお願いします。
それではお体をご自愛ください。
敬具】
と言う内容の手紙です。
手紙をもらってから確認したところ小学校の国語の授業でお世話に成った人へ感謝の手紙を書き送ると言う、授業の一環で書いた手紙だと解かりました。
しかし鉛筆で綺麗に書かれたこの手紙を読み進めると目頭が熱くなる何かが有りました。
先月、寛太君の祖母で七十歳でお亡くなりに成りました、寛太君の祖母の納骨、四十九日の法要を務めさせて頂きました。
私はお葬儀の時にはお亡くなりに成られた方はお釈迦様の「命」を受けて現世に仏道修行を行う為に現世に「生」を受け、お生まれに成りました。このたび現世での仏道修行を終えられ再びお釈迦様の元で仏道修行を行う為にお釈迦様の元にお帰りに成られます。 その為にお葬式、お授会をさせて頂きました。
と、お話をさせて頂きます。
四十九日の時は、先月お葬儀、お授会を致しまして仏門に入られました故人は本日、皆様とお別れを致しましてお釈迦様の元へと旅立たれます。
本日が故人と皆様との本当のお別れと成ります。読経中お焼香をして頂きますが皆様、個々故人に対しての思いが有ると思います。
お焼香の際には故人とお別れの感謝の気持ちをこめてお焼香をなさって下さい。
と、お話をさせて頂きます。
寛太君は私がお葬式と四十九日にお話し致しました事を理解してくれたのだと思い、うれしくて心の中に感動を覚え、目頭が熱く成りました。
私たちは寛太君のような純真で綺麗な心、気持ちでお亡くなりに成られた方を送りたいものだと改めて自分に気ずかされました。
私たちは現世において両親、御先祖様のお蔭様で現世に「生」を受けました。
私たちは自分の周りにいる多くの人のお蔭で生きて生活をしています。自分の為に尽くして頂いた方々がお釈迦様の元にお帰りに成られる時は、寛太君のような気持ち、心の持ち方、考え方をしたいものだと悟された寛太君からの一通の手紙でした。
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