曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

如是我聞 [1763 H26年5月19日〜5月25日]

三重県 光明寺 住職 山口正倫 老師

如是我聞(にょぜがもん)かくのごとくわれきけり
 三月中旬のある日の事。
「おはようございます。」
朝ご飯をいただいておりますと、玄関の方で声がしました。
「はーい。」
玄関に行ってみますと、お檀家のSさんが立っておられました。
「うちの畑の土手にわらびが出たわえ。」
見ると、掌の中に新聞紙に包まれたわらびがあります。小さなキャベツほどの大きさで。
「ちょっとやけどの。」
そういうとSさんは新聞紙の包みを置いて飄々として帰って行かれました。
お寺の老和尚が、わらび採りが好きな事を知っておられて、出たばかりのわらびを摘んで持ってきてくださったのでした。
「うーん。」
置かれたわらびの包みを前に考えました。仕事の合間にわらびを見つけ、出たばかりの小さなわらびを集めて持ってきてくださったこと。置いてさっさと帰って行かれた事。Sさんとしては、わらびを届けた時点で、
「はい終わり。」
だったのだろうな、と。
 道元禅師が「随聞記」の中で、「密密になす処の善事」と云われています。「人の目に見えないところで善い事を行う」ことですが、私は「善い事ができたなら、さっさとその場を離れなさい」と受け取ります。
 「善い事ができた」という思いをいつまでも持っていますと、それはいずれ「執着(とらわれ)」となって、身も心もしばってしまいます。「してやったのに。」という悪心を生んでしまう前に「善い事ができた。」を忘れてしまいましょう。
 これがSさんから頂いた私の如是我聞です。

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