本日は、「感謝のことば」について、お話しさせて頂きます。
仏教では、「朝(あした)に礼拝、夕(ゆうべ)に感謝」とういう言葉があります。朝、仏壇に手を合わせ、今日一日の皆の健康と無事をお願いする。そして、一日の無事平穏に感謝する。まさに、仏様やご先祖様の「お陰さま」で、私たちは生かされています。
最近は、核家族化の影響もあり、仏壇が安置されていないご家庭も多いようです。しかし、食事など当たり前のことが当たり前にできる姿こそが、自分が生きている証、そして生かされている証でありますから、その時々に手を合わせ、感謝を表すことができれば、それ自体が、他ならぬ仏様やご先祖様への感謝の表れとなります。
また、「おはようございます」や「こんにちは」の挨拶も、自分が生かされ、周りの人がいてこそできることです。したがって、日常の挨拶を感謝の気持ちでするだけでも、一日がより充実したものとなることでしょう。今の自分や家族があるのも、ご先祖様がいて下さってこその存在でありますから、家族で交わす挨拶そのものが、ご先祖様に感謝する行為と何ら変わるものではないのです。
感謝を表す代表的なことばに、「ありがとう」があります。食事の「いただきます」「ごちそうさま」もそれにあたります。
私もそうですが、感謝のことばを、本当に感謝の気持ちを持って発しているでしょうか。
漢字で書くと分かりますが、「ありがとう」とは「有難い」ことなのです。残念ながら、「有難いこと」でも、「してもらうのが当然」のように捉えてしまうと、感謝の気持ちは薄れてしまいます。家族や身近な人に対しては、余計にそうではないでしょうか。
私たちは、何事でも、「有難い」こととして捉え、それに感謝する。感謝できる環境に生かされていること自体が幸せである。「日日是好日(にちにちこれこうにち)」なのです。その幸せに対し、家族や身近な人にこそ、大きな感謝の気持ちを示し、常にそれを口にすることができれば、本当に素敵であると思います。
また、感謝の気持ちやことばは、決して一方通行ではなく、互いを思いやり支え合う「お陰さま」「お互いさま」の精神で成立します。
例えば、親子の関係でお話ししましょう。親が産み育ててくれたお陰で今の自分があり、子を授かることができたお陰で子育てができる。ともすれば、苦労や面倒であると思ってしまう子育てや親の介護等であっても、以前自分が親にして頂いたこと、これから自分が子にして頂くかもしれないことと、「お互いさま」の気持ちで考えることができたならば、何事をも感謝の心で接することができるはずです。まさに、「報恩感謝」の教えそのものです。
このように、感謝とは、人やものとの関わり合いの中で生まれる、互いの慈しみのこころの表れです。つまり、感謝とは、全てがそれ自体で存在するのではなく、縁によって存在しているという、仏教の「縁起」の思想にも通じる尊いものであるのです。
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