曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

帰家穏座 [1767 H26年6月16日〜6月22日]

静岡県 森龍寺 住職 藤田和憲 老師 

みなさんは「帰家穏座」という言葉を知っていますか。これは長い間、旅に出ていた者がようやく自分家に帰って、身も心も落ち着くということですが、転じて人に本来備わっている仏としての性質、性格に気付いて心が落ち着くとか安らぐという意味だそうです。
 お釈迦様が今からおよそ2500年前にお悟りを開かれたとき、山も川も、草も木も、動物も人も、全ての者は皆悟りの世界の中にいたのだということに気が付きました。それは全ての存在はそのままで尊く、また平等なのだということです。
 私は小さな頃から病気がちでいつも不安で孤独感や疎外感に陥ったりしたものでしたが、このお釈迦様のお悟りによってすべての物が自分に語りかけてくれているようで、自分は一人ではないと感じ、気持ちが楽になったのを覚えています。
 そして今、この帰家穏座という言葉によって私には帰る場所がある。優しく受け入れてくれる所があるのだと安心しました。もし自分が亡くなったとしても同様に、遠く離れたふるさとに帰るようなものですから、たくさんのお土産話を持って帰りたいと思っていますが心配なこともあります。それはみんなが同じ場所に帰るのですから、生前に仲違いをしていたり、不親切にしてしまった人とも会わなければならないということです。それはちょっと気まずいので今のうちから人には親切にしておこうと思いました。それからきっと多くのご先祖様方ともお会いすることになるので、ご先祖様へのご供養も欠かせません。あれもこれもと考えると難しいことのようですが、ご先祖様たちに喜んでもらえるような生き方をすればそれがそのままご供養になっているのではないのかと思っています。そこで私の言動や言葉遣いが人を傷つけていないだろうか。親切心だと思ったのに自分勝手や独りよがりになっていないだろうかとちょっと反省してみようと思います。
 またあの世では地位とか名誉とかお金とかは通用しないでしょうし、損得も勝ち負けも関係ないところでしょうから、何かに執着しても意味がありません。大切なのは日頃から短気を起こさず投げ出さず、愚痴や文句も言わないで毎日笑顔でいられるように心がけることです。
 生きていれば嫌な出会いもあるし、大切な人との別れも経験しなくてはなりません。でもそれらはたくさんのことを私に教えてくれました。出会いには必ず意味がありました。すべての出会いに感謝することができれば心は自ずと安らいできます。

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