曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自己をならう [1768 H26年6月23日〜6月29日]

静岡県 釣学院 住職 河内行基 老師 

私たちはなぜ苦しみ迷うのでしょう?それは「自己の不明」が原因に他なりません。曹洞宗御開山道元禅師様は「仏道をならうというは自己をならうなり」とお解きになられ、自己に親しみ、本当の自己に出会う道が仏道だと示されております。
 お釈迦様は、この世にお生まれになると七歩歩まれ「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと伝えられています。これは人間個々の絶対的な尊厳、価値を宣告されたのです。
 一国の王子であったお釈迦様は、きっと何不自由なく生活されていたことでしょう。しかしどうしても心が治まらない、安らぎを得ることができませんでした。人は必ず老い、病になり、死んでいかなくてはならない。
 このくるしみをかいけつしないかぎりは、真の安らぎは得られないであろうと、城を飛び出し、国を捨て、家族を捨て、修行者となりました。お釈迦様はありとあらゆる難行苦行をされました。長く苦しい修行の末、ついに一切の苦悩に決着をつけられました。しんのやすらぎをえられたのです。「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆、如来の智慧、徳相を具有す」万徳円満な完全なる人間の本質、絶対のすべてを見極められたのです。
 真の安らぎを得られたお釈迦様は、この絶対の真理を一人でも多くの人びとに伝えるために伝道の旅に出られます。長い旅の中で、多くの弟子ができ、信者が増え、大教団となっていきました。長い長い伝道の旅を続けられてきたお釈迦様にいよいよ死がやってきます。お釈迦様は横になられると静かに最後の説法をされました。「己こそ己のよるべ己をおきて誰によるべぞよく整えられし己こそまこと得難きよるべをぞ得ん」
 この世にお生まれになられてから、お亡くなりになるまで伝えてこられたお釈迦様の教えは“自己をならう”この一点です。“人人の分上豊にそなわれりといえども修せざるにはあらわれず証せざるには得ることなし”勉旃勉旃

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