曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

すべての縁に [1770 H26年7月7日〜7月13日]

愛知県 青光寺 住職 森義孝 師 

本日の法話は、「コレも何かの縁」という時に使われます「縁」という言葉についてお話させて頂きます。この「縁」というモノは、「原因」から「結果」までの間に関わってくる「間接的な原因」という意味で使われています。わかりやすい話と致しまして、田んぼの種まきに 例えた話があります。
「蒔けば生え、蒔かねば生えぬ」
当たり前ですよね?種というモノは、蒔いておけば、いずれ稲になりますが 蒔かなければ、そこには何も生えてきません。「タネを蒔く」という「原因」があり、始めて「稲(イネ)が実る」という「結果」が生まれてきます。
仏教では、この原因のインの字を使いまして、初めに起こった原因の事を「因」と、一言で現します。
そしてその結果 どうなったのか? この結果の事を、 結果の果の字を使いまして、「果」として、一言で現しています。そして、この「因」と「果」という「ふたつの言葉」は、原因から結果までの流れを現します「因果」という言葉で表現されています。
そして今日の法話で取り上げました、縁というのは、この因果の流れの中でも、その真ん中に存在し、様々な関わりを持ってくるものです。先ほどの話でも、
「蒔けば生え、蒔かねば生えぬ」
とは言いましたが、「ただ、種を蒔いただけで、あとは勝手に育つか?」と言われれば、そんなに上手く育つわけが無いですよね?
やはり種が立派に成長のする為には、「種が持っている本来の力」そして、それ以外の誰かの手助けが必要になってきます。
「種を蒔く」という原因から「稲が実る」という結果につながる為には、「大地」であったり「太陽」であったり「雨」であったり、時には 誰かの手によって草を抜いて 見守ってあげなければ上手く育つ事はできません。
種は種以外の様々な間接的な関わりがあり、はじめて立派な稲を実らす事ができます。この、「種自身の力」以外の間接的な関わり。 それが「縁」という、なくてはならない存在です。
皆様も普段生活している中で、 当たり前と思って接している自分以外の全ての存在。そのさまざまな存在が、皆様の「縁」として、良いことも悪いことも含めいろんな形で皆様自身を作り上げ、育ててくれています。
「あなたにとって、恩人は誰ですか?」と聞かれれば、皆様も複数の方が頭に思い浮かぶと思います。  
原因の因という字は「国構え」の中に「大」と書く漢字です。そして、この因の字は、下に「心」という字を書いて下から支えてあげますと、「他の人から与えられた恵み」という意味を持つ「恩」という漢字に変わります。
恩人というステキな方との出会いは、まさに「良縁」であったと言えるモノでは無いでしょうか?
そして皆様自身も、知らず知らずのうちに様々な人達に関わる「縁」としてこの世に存在しています。
「報恩感謝」この気持ちは常に持たなければなりません。
私は今回、 法話という形で皆様のお時間を頂きましたが、皆様との出会いも、やはりコレも何かの縁であったと思います。これからも皆様が様々な良縁と出会い、そして皆様自身が誰かの良縁となり、毎日が幸せに過せます様願っています。

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