曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

人生を死から逆算して考えてみると [1771 H26年7月14日〜7月20日]

愛知県 観音寺 住職 林孝春 老師

四年ほど前から先祖供養の時には観音経を読むことにしています。しかし、当時檀家の方から、「もっと大きい字で読みやすいものがあればいいのに」と言われました。その時、字の良く見える私は「これぐらいの字が見えなくなるのか」と思いながら、大きい字の本を探し、手に入れました。ところが、最近の私は細かい字があまり良く見えません。「とうとう私にも来たか」と感じました。
 考えてみると、もし何も知らずに字が見えなくなったとしたら不安でしょうがない。しかし、このようにあらかじめそういうものかと知っていれば不安は少ないのです。
 実はこれ、とても仏教的な考え方です。修証義というお経の最初に「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」とあります。これは、死があるがゆえに人生が充実したものになるとも解釈できます。もし人間が永久に生きるとしたらどうでしょうか。日々の生活は目標もなくだらだらとしたものになるでしょう。人を育てることも自分を成長させることもなくなります。修証義には人生を充実させるための知恵が書かれています。
 私たちの日々の生活は、人間関係がうまくいかなかったり、病気になったり、苦しみ悩むこともあります。しかし、もっと自分を客観的に見てみましょう。人生を生まれてからの積み重ねとしないで、死ぬときから逆算して考えてみるのです。例えば、「六十歳の自分はこうなっていればよい」、或いはもっと細かく一年後、半年後。今までの失敗、今日の失敗にくよくよしないで、将来成功するためのステップにすればよいのです。日々の少しの成長、新しい目標ができればそれを楽しめばよいのです。そして最後は、生を受けたことに感謝、人生が送れたたことに感謝して、自分の人生を全うできればよいのではないでしょうか。

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