毎年蝉の鳴き声が騒がしくなる頃、小学生を対象に地域の人たちの協力をいただいて坐禅を一緒にしています。最近ではなかなか子どもたちと接することもないので、毎年楽しみにしています。
坐禅会を始めた頃は、休みにまで坐禅をしにくる子はいないと思っていましたが、今では大勢の子どもたちが参加してくれています。毎年来てくれる子もいればたまに来る子、それぞれですが顔を合わすたびに顔も雰囲気も変わっています。小さくて寺に来ることに戸惑っていた子が、今ではお兄さんお姉さんとなって、こちらからいわなくても率先して小さい子たちの面倒をみてくれています。坐禅が始まれば子どもたち全員が真剣に純粋な眼差しで何かを学び取ろうと話を聞き、全力で坐禅に取り組んでいます。その姿を見ると、大人になって常日頃忘れていることを思い出し、考え直させられます。何事にも思いやりを持って接し、全力を傾け出し切ること。簡単なようで難しい、言葉だけなら簡単なこと。実践するのは難しいこと。
人は普段、自分の能力を数パーセント程度しか使っていないといわれています。残りの能力にブレーキをかけてしまっているのは自分自身の気持ちの弱さです。「大にあらず小にあらず、自にあらず佗にあらず、先よりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆえに、かくのごとくあるなり」と道元禅師さまはおっしゃっていますが、あるがまま受け入れ、こだわらず生きる。これこそがすべての能力を使い何事にも全力で向かう方法ではないでしょうか。子どもたちと一緒に坐禅をし、何気ない表情や言葉から自分に今足らない物を思い起こさせられ、また学ばせてもらうことの大切さを思い知らされます。
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