人のイタミに触れ自分の心を知る。自分のイタミに触れ、人の心を知る。心の傷みに触れ、心の脆さに気付く。
このイタミとは何がきっかけで深く突き刺さり大きく傷ついた心のことであります。自身の経験を通して気付いた言葉です。
自分の身の回りの誰かが、深く心が傷ついている様を見たとき、それに対し自分の心は何を感じているのか。感じた何かに対して自分はどのような行動をしているのか。
私は息子を亡くしました。息子の死は心がえぐられ、もぎ取られるような深く苦しい心の傷みになりました。同じように子を亡くされた親御様、家族を亡くされた方々の取り残されてしまったかのような心の傷みを少しだけ知れたような気がします。そして息子の死を通した己の心に、周囲の方から届く励ましのお言葉も時に刃のごとく深く突き刺さり、逆に心に光が差し込むがごとく大きく救われたりと、様々な人の心を知る事ができました。
そして自分の心というものは、自分で考えている以上に弱く儚く、脆いものであると知りました。心の大きな負担の代償か、息子の葬儀から徐々に声が出にくくなっていきました。僧侶である故に、声が出ない焦りと今後の不安。自律神経が乱れ過呼吸を繰りかえししたり身体全体がおかしくなり、負のスパイラルに陥りました。自分が惨めで情けなくて仕方ありませんでした。しかしこんな私を黙って見守り導いて下さった方がおりました。師匠であります。「いつかはまた声が出る。それまで待ってあげればいいだけ。今は自分が頑張る。」とおっしゃり、私を信じ続けて下さいました。そのお言葉を聞いたとき、心が救われ心が大きく軽くなったのをはっきりと覚えております。その瞬間ようやく、心の脆さに気付きました。傷ついた心が踏ん張るためには、時に助けてもらうこと、時に助けてと叫ぶこと、自身の脆さに気付くことが大事であると感じます。
目には映らず、自らでも見失いかける心。人を動かす根源を、健康に保つことも自らの心の行方次第。経験を通して得た心の気付き。たまにゆっくり坐り、自分の心に耳を傾けてみることも、心の築きになるのでは。
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