三途とは古くは六道の中の地獄道、餓鬼道、畜生道の三悪道の事を言ったそうです。
地蔵十王経という経本によりますと、この世とあの世の間に川が流れていて、この川の渡り方が三つあるので三途の川というのだそうです。
これによると善人は金銀宝石で造られた橋を渡り、罪の軽い人は浅瀬を渡り、罪の重い人は深い川を渡るのだそうです。
また時代が下ると、死後すべての人が船に乗って川を渡ると考えられるようになり、その川の渡し賃を六文と定め、六道のお地蔵様へのお賽銭として六道銭といわれるようになりました。様々な変遷を経た三途の川と六文銭ですが、私なりに少し三途の川の渡り方について考えてみました。
仏教には三毒と六波羅蜜という教えがあります。そこで私は三途の川を三毒に六文銭を六波羅蜜に置き換えてみました。川を挟んだこちら側には苦しみや迷いの世界。あちら側はそれらのない悟りの世界、仏様の世界といわれます。この苦しみや悩みの元を煩悩と言い、この煩悩が貪、瞋、癡の三毒、即ち歯止めのきかない欲望、止まない怒り、それに気が付かない己の愚かさから生まれ、私たちを苦しめています。そのため三毒があの世とこの世を隔てる三途の川ということになります。
またあの世に渡る船の船賃である六文銭は、六波羅蜜という仏様になる為の六つの修行の事だと考えました。その一つ目は惜しまずに与える事、二つ目は仏様との約束を守る事、三つ目は怒りの気持ちを抑える事、四つ目は正しい行いをし続ける事、五つ目は心を穏やかに保つ事、六つ目は煩悩を消し去る事です。
私たちは出棺の時、六文銭のはいった袋を故人に掛けてあげますが、それは「しっかりと修行をして煩悩を消し、悟りの世界に赴き、仏様になってください」と申し上げていることになります。でも、実は反対に六文銭をかけた私たちの方が、故人さまから「生あるあなたたちこそしっかり生きて、仏様になる為の修行をしてください。怠ってはいけませんよ。」と励まされているのではないでしょうか。
大切なご家族の教えと心を受け継ぎ、懸命に生きることが私たちの修行であり、本当のご供養といえるのかもしれません。三途の川と六文銭の教えは、そのことを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
| top
| 前のお言葉
| 451
| 452
| 453
| 454
| 455
| 456
| 457
| 458
| 459
| 460
| 461
| 462
| 463
| 464
| 465
| 次のお言葉
|