曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

 習慣の中の仏教の世界  [1809 平成27年4月6日〜4月12日]

静岡県 長命寺 住職 加藤高敏 老師

みなさんは「仏教」というと、どうしても難しいイメージをお持ちではないでしょうか。
私も学生時代、少しでも仏教を理解しようと、色々と仏教に関する本を読み続けました。ただ本に書いてあることは難しく、勉強することが嫌になったこともありました。勉強を続けていると、時には「仏教は、こういうことを言っているんだ」と思い、分かった気になることもありました。しかも、分かった気になり、自慢げに人に話したり、説法をしたりもしました。その頃の私は、悪い言い方をすれば頭でっかちでした。

ある時、そんな私に師匠が、「いろいろな本を読んで勉強することは良い事だが、それだけでは仏教は分からない。毎日少しでもいいから、お寺を掃除しなさい。」といわれました。
はじめは「めんどくさい」という気持ちでやっていたのですが、続けているうちに「ここにこんなにゴミが落ちている。こんなに草が生えている」ということに気づくようになりました。だんだん、毎日掃除をせずにはいられない気持ちになりました。

お釈迦様は「善い行いは、習慣として繰り返し行いなさい。そうすればだんだんと自分も磨かれていく」と説かれました。みなさんも毎日行っている習慣があると思います。歯を磨いたり、顔を洗ったり。これらの事を忘れたら気持ち悪いですね。毎日の習慣とはそういうものです。習慣を持つことで人は磨かれていきます。それが人のためになる事であればなおさらです。
しかし、そういう習慣は忘れがちで、続けがたいものです。そんな仏教徒の我々にある習慣の一つに「仏壇」があります。毎日仏壇にご飯を供え、線香を立て手を合わせる。そして常に仏壇を綺麗にしておく。このような習慣を続けられることで自分が磨かれ、いつもと違う世界が見えてきます。それこそが仏教の説く世界です。

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