「私とは何か」。お釈迦様はその答えを「諸法無我」と端的にお示しになられました。「諸法無我」とは、(全てのものは変化していくものであるから)全てのものに固定された実体は存在しないという教えです。つまり、「私とは何か」の答えは、「無我」「私はいない」となるわけです。この答えを聞いて「なるほど、まったくその通りだ」と頷ける方は一体どれほどいらっしゃるでしょうか。かくいう私も疑問を抱かずにはいられないのです。そんな折にあることばと出会います。
「私とは田んぼである」。
このことばは解剖学者でありベストセラーの著書「バカの壁」でも有名な養老孟子さんのおことばです。養老さんはこのようにお話しされます。
「自分と環境はどこで切れるんでしょうか。例えば田んぼを歩く時、あの田んぼを自分の一部と思ったことがありますか。稲が育って米が出来ます。その米を私たちは食べる。食べた米は私たちの一部になります。また、その稲は土から養分をとり、太陽、空気などで育つ。そう考えると、世界は全部繋がっちゃうんです。」と。
田んぼの稲は米に変わり、米は食べられ私に変わり、私は今日も何かを食べて、60兆個といわれるこの身体の細胞は今も刻々と変化を繰り返しています。食べたら排せつをして、寝て起きて。気分だって変わります。そんな自分の一体何が本当の「私」なのでしょうか。
ここでひとつ確かなことは、今のこの「私」とは食べたお米、私を産んだ親、はたまた地球、宇宙この全ての御縁の賜物であるということです。米から宇宙に至るまで、壮大な御縁すべてをもって、この「私」とみるか。はたまた、この私の正体を、只々御縁とみるか。今の私に確かな答えは用意できませんが、少なくとも、これまでの私が考えていた「私」よりも、実際はもっと広く壮大なものであると、今は感じられるのです。
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