曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
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夢のような人生 [1831 平成27年9月7日〜9月13日]

愛知 春陽寺 住職 星野明光 老師

幼稚園の卒園式、壇上で園児たちが将来の夢をみんなの前で発表しています。サッカー選手、警察官、お菓子屋さん、幼稚園の先生、プリキュアなど、みんなの夢が叶うことを願いながら、わたしは、きらきらとした眼で話す子供たちを見ていました。
子供のころ誰にでも夢がありました。そして大人になって、その夢を叶えた方、また違う道を歩まれている方もみえるでしょう。
寺の長男として生まれたわたしにも色々な夢がありました。しかしそこには「お坊さん」という選択肢はありませんでした。なぜなら「お坊さん」は将来、自分が「やりたいこと」ではなく、お寺の後継者として「やるべきこと」と考えていたからです。
しかし実際に「お坊さん」としての務めを果たしていくうちに、その考えは変わっていきました。今ではお坊さんは「やりたいこと」になっています。
ではなぜ気持ちが変わっていったのか。
「やるべきこと」と感じるのは、それが人に求められていることだからだと思うのです。
人が求めていることに応えることができれば、その人は感謝の気持ちを表してくれます。そしてそれは自分が誰かの役に立っているのだという実感を持たせてくれました。
この実感は、「お坊さん」として生きる喜びを与えてくれました。その喜びを感じるごとに、「やるべきこと」が「やりたいこと」へと変わっていったのです。
人生の目標や生きがい、夢を求めるうえで、自分がやりたいことではなく、自分がやるべきことに目を向けられるのも生き方の一つの選択肢ではないでしょうか。
人は誰でも生きてゆくうえで果たすべき役割を担っています。
仕事上の役割はもちろんのこと、地域社会での役割、家族の中でのそれぞれの役割など、その役割を果たしていくこと、つまりやるべきことをやることが自然に、人とともに生きる喜びとなり、自分自身の生きる力となっていくのではないでしょうか。そしてその力は、人生の様々な困難な状況に、今一歩踏み出す勇気を与えてくれるのです。
これはまさに、お釈迦様が教えられた生き方に通じるものです。
やりたいことができる人生は、素晴らしい。しかし同じようにやるべきことをやっていく人生もまた素晴らしいと思うのです。あせって夢を追い求めなくても、やるべきことをやっていれば、夢は後からついてきます。
今から夢のような人生を送るのに遅くはありません。

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