曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

有り難い [1843 平成27年11月30日〜12月6日]

静岡 瑞龍寺 副住職 浅井康博 師

戦後七〇年を迎えた今、自分が生きていられることがとても有り難い事だと日々感じています。
 私の祖父は終戦を迎えたとき、特攻の出撃命令が出るのを待っていましたが、順番がくる事がなかったため無事でした。祖父は話をすることが好きでしたが、当時のことを話すことは嫌で、祖母にそのことを聞くと「とてもつらい経験をして思い出したくないから話をしたくなかったり、戦争の番組を見ることが嫌だったんだよ。」と教えてくれました。戦時中大勢の人が国のために自らの命を捧げ亡くなっていった時代を生きて繋いでいただいて生まれてくる事ができた、
『人身得る事難し』人が人として生まれてくる事が非常に得難い事であると痛感しました。
体験していない事を人に伝える事はとても難しい事です。しかし、戦争を経験した人が少なくなっています。その中で私たちが若い世代の人たちに何を伝えることができるのか。戦争があったこと、国のために命を捧げ、大勢の人がお亡くなりになり、生きたくても生きることができなかった時代を生き抜いて命を繋いでくれた方々がいて私たちがこの世に生まれてくることができた、それは非常に『有り難い』ということ。
『ありがとう』という言葉は元来は『有ること』が『難い』意味としては『滅多にない』『貴重である』です。時が流れ感謝を伝える言葉『ありがとう』となりました。
今、「ありがとう」と素直に口に出せる人が少なくなっている気がします。私も正直感謝の気持ちを口に出して伝える事が苦手です。家族・友人にちょっとした事でも「ありがとう」と思ったら口に出して伝える事こそとても大切ではないのでしょうか。そしてご先祖様に、この世に生まれる事ができた事に感謝の気持ちをもって手を合わせましょう。ありがとう。

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