人身受ること難し 仏法会うことまれなり
人として この世に生を受くることは難しく得難い縁によるものであり、その中で仏の法に出会うことは本当に幸せなことです。
人の命は 短く儚いものでありますが、その人の生きたあかしは受け継ぎ引き継ぐことができるのです。
お寺に来られる貞子様という方がおられます。御本尊様の前で座って手を合わせておられましたので、お声をかけてみると、目に涙を溜め 不安そうな顔で、眼底にポリープができたことを打ち明けられました。「怖くてたまらない」と手を震わせながらおられましたので、しばらく時を一緒に過ごしました。
何度か検査の後、左目摘出手術を受けることとなり 手術が成功して数か月が経った頃、またお寺にお見えになりましたので経過を聞かせて頂きました。経過はあまりおもわしくないと言うことでした。「和尚さん、私ね 何回か入退院をして気が付いたことがあります。生きていることって すごいことですね。幸せな事ですね。朝起きるとね 今日も目覚めさせていただいてありがとうって手を合わせて言うの。夜寝るときにはね 今日一日の命をありがとうって言うの。毎日繰り返していたら怖くなくなってきました。不思議ですね。
自分にできる事、今までに経験したことや 年中行事のことを娘に書き記しています。孫にも手紙を書いています。」それから一年四カ月後、娘さんは 目を赤くしながら「昨夜、母が急逝しました。とても静かな最期でした。」とお寺に来られました。
娘様から一枚の紙を渡されました。母が最期の力を振り絞って書いた言葉です。
『笑う時も一生懸命 泣く時も一生懸命』と書いてありました。
あれから十三年が過ぎた今でも墓参をする度に、今日一日を一生懸命生きなさいと教えられているようです。きっと家族の皆様には 貞子様の尊く生きた命の繋がりがしっかりと受け継ぎ引き継いでいかれると想います。
私たちも今日一日を大切に生きたいものです。
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