新年明けましておめでとうございます。昨年はテレホン法話をご利用くださり、ありがとうございました。本年も何卒宜しくお願い致します。
昨年の年末、新年を迎えるための大掃除をしていると、ご近所の方が「餅を搗いたので少しですがどうぞ」と“あんころもち“を届けて下さいました。出来たてでとても柔らかく、なによりも心のこもったお餅、折角ですので暖かいうちにと思い、家族皆で美味しくいただきました。
いつも季節に応じて“おはぎ、ほうば寿司、栗おこわ”I を届けて下さる気遣いに感謝して頂戴します。
街中では聴かれなく成りつつある‘おすそわけ’の慣習ですが、私の住む地域ではいつもながらに行われています。人々が寄り添う行いは、絶えないで、欲しいと願うばかりです。
さて、年末年始になると必ず「福男・福女」の話題を聞きます。1月10日に、とある神社の開門と同時に本殿へ誰よりも先にたどり着いた人が、「福男・福女」の権利を得られるとの話です。
ある日、昨年の福男に取材した報道を見ました。「福男となって良いことがありましたか」との問いに、「いいえ、自分にとって全く良いことはなく、かえって悪い出来事ばかりでしたよ」と答えました。しかしその後「周りの友人や知人には良いことばかりでした。友人などは結婚相手が決まりましたよ」と幸せそうに頬を緩ませ言うのでした。
元来、福徳、の権利を得た人は、自らが福を頂くのではなく、自ら頂いた福をわけ与える人となることのようです。
誰もが幸せになりたいと願います。それは人間の永遠なるテーマとも言えましょう。しかし、我が身だけが幸せだけでなく、周りの人々が幸せにならなければ、本当の幸福感は得られないのでしょう。それは、私たちが一人だけで生きていくことは難しく、多くの人の愛情と協力に支えられ、生かされている私たちであるからなのです。
「おすそわけ」は「お福わけ」とも言われるようです。私も福男の彼のように、人の幸せを微笑みながら語れる一年としたいものです。
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