最近、年忌法要の際にお話しさせていただいていることに「今の私たちがこうして存在するには、ご両親、そのまたご両親、そして十代遡ると二千四十六人、二十代遡ると二百万人以上の御先祖様がいら
っしゃいます。そして、この中のたった一人がいないだけで、今の私たちは存在していないのです」という話をさせていただくことがあります。
今の自分があるのは、自分の努力や苦労があってのことではありますが、何よりもその墓ととなる命をつないでくださった御先祖様方、そして育てていただいたご両親のおかげであることは他ならぬ事実であります。
これだけ多くの人々のご縁を、そして命を受け継いで存在する私の命の有難さに気付くこと、また、だからこそ自分の命、そして生き方に向き合う原点になるのではないでしょうか。
最近では法事はやらなければいけないのか、何のためにやるのかと問われることがあります。
今ある私の命はご両親や祖父や祖母、そして数えきれないほど多くの御先祖様方の尊いご縁と受け継がれてきた命に感謝し、この御恩に報いて生きていくことこそが、先祖供養の根幹であると思います。
供養をするという行為は、人間にしかできない行いであるといわれます。しかし最近では、人が人の命を奪い、その中には夫婦、親子という間にもおきており、毎日のように報道されています。
今一度、人間が人間らしく生きていく第一歩として、私たちの命がどこからきているのか、そしてこの先どのように受け継がれるのかを考えてみれば、自ずと御先祖様に手を合わす気持ちが生まれます。
手を合わせるということは、自分と仏、自分と御先祖様が一つになれるということです。
受け継がれてきた命に手を合わす。
そして、そうすることによって、その命は次へと受け継がれていくこととなるでしょう。
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