曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
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五観の偈その五 [1859 平成28年3月28日〜4月3日]

愛知 東昌寺 住職 芳賀成明 老師

こんにちは、皆さん食事は美味しく節度をもって戴いてますか?
最近の私は食事の度に、どれどれ今日は何かな、と目を奪われ「おっ今日はカレーか」と鼻を奪われ「うん旨い」と舌を奪われ「もう一杯お代わり」と好きなだけ食べ過ぎてしまい、自制心のなさを少々反省しています。
自己満足の為に己が奪われているんですね。
 昔ご本山での修行時代に戴いた食事は、奪われるものは何もないほど質素でした。
 でも、今思い返しますと質素な分、食事の本質が現れていたような気もします。
残念ながら当時は気付きませんでしたが、粛々と行じられる作法は空腹を満たすというより大袈裟に言えばお粥や胡麻塩とどう向き合うのかが示されていた、とさえ思えます。
 その作法「五観の偈」の最後は「成道の為の故にいまこの食を受く」と唱えられます。
成道とはいわゆる「成仏」ということです。
成仏の為に今この食事を戴きます、ということですが、では一体誰の成仏でしょうか?
以前は自分の成仏だと思っていましたが、五観の偈を学ぶうちそうではなく他の成仏の助けになることが私の成仏でもある、ということに気付きました。
食べ物という「生命」を戴くことが仮に許されているのは、その食べ物の成仏、また誰かの成仏に努める為であり、それは他の生命を戴かなくては生きていけない私たちが、たどり着かなければならない結論でもあります。
 目の前のお粥や胡麻塩と私の生命をどのように成仏させていくのか、これは食事だけのことではなく人の生き方の問題でもあります。
「五観の偈」その一で、食べ方は生き方につながると申しました。
 「五観の偈」は食事作法ではありますが、
生き方の態度を示したものと言えます。
是非一度経本を手に取り「五観の偈」を味わってみて下さい。

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