先日あるお爺さんの葬儀をお勤めしました。その方とは大変親しくして頂き、またとても信仰の篤い方でしたので、毎月自宅でのお参りもさせて頂いておりました。
葬儀を終え、ご自宅に戻られたご遺影とお位牌の前で手を合わせながら、ふと思う事がありました。
幾度となく私の後ろに坐り、先祖を思い手を合わせていた方が、今は亡くなられて私の前に仏様としていらっしゃいます。仏になられて、何を教え、伝えられているのだろうか、そんなことを考えておりました。
お爺さんの月命日を迎え、お参りに伺った日の事です。迎えてくれたのは、中学生の男の子のお孫さんでした。生前、おじいさんが宝物のようにかわいいと話していらっしゃいましたが、その日は共働きで忙しい両親に代わり、一緒にお参りをしてくれました。読経を終えると男の子は、私に軽くお辞儀し、「こちらへどうぞ」と床の間の前に敷いた座布団を勧めてくれました。そして、いつ習ったのか、それともお爺さんの姿を真似てか、生前のお爺さんと同じように、急須にお湯を注ぎ、お茶とお茶菓子でもてなしてくれました。その少し緊張し、ぎこちない様子をみながら、とてもほほえましく感じました。
するとふと、先ほどの疑問の答えが出たような気がしました。
男の子にとって、先祖の姿を慕い、感謝の手を合わせ、人には真心を持って接する事、仏と為られた祖父の姿に沢山の教えをみているのだと思いました。私にとって、そんな男の子と尊い縁を結んで頂いた事がとても大きな頂き物だと感じました。
皆さんも、仏壇に手を合わせ、今一度仏の声に耳を傾けてみてください。
そこには私達を幸せに導く道が、明るく灯されています。
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