修証義という経典にこんな一節があります。
「海の水を辞せざるは同時なり。故に能く(よく)水聚りて(あつまりて)海となるなり。」
同事というのは、区別や差別をつけない事です。自分に対しても、他人に対しても区別や差別をしない。自分を認め、相手も認め、そのものと一つ世界を生きるということです。
海は、どの川から流れてくる、どんな水でも区別することなく、等しくこれを受け入れる。それらの水が集まって大海となります。それでは海が人間だったらどうでしょう。
「木曽川の水は入ってきていいけど、長良川はどうも気に入らないから、入ってこないでくれ!」などといってしまうかもしれません。
海はこの川はいいけど、あの川はくるな!とは言いません。また海に流れ込む水も伊勢湾に入るのは嫌だ、どうしても相模湾に入りたい!なんてこともいわない。海はそれぞれの川の水は違っても、それらを選り好みしない、水もまた海を拒否しない。同時成るがゆえに大海となるのです。
とかくわれわれ人間は、自分の価値観や好みなどで差別したり、あなたと私の違いばかり気が付いて、同じとは認めがたい事が多いですが、私たちも海のごとく限りなく大きくゆったりと、すべてを受け入れて偏らない心でありたいものです。
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