アメリカの小説で『賢者の贈り物』という短編があります。
貧しいながら仲良く暮らす若い夫婦は、互いに相手のためを思いクリスマスのプレゼントを用意します。
夫は、長い髪が美しい妻のために、たいせつにしてきた父親の形見の懐中時計を売り「高価な髪飾り」を買いました。
妻は自分の髪を売って、その懐中時計につけるための「金の鎖」を買いました。
クリスマスの夜、プレゼントを交換した二人には、髪飾りを付ける髪も、鎖をつける時計もありませんでしたが、お互いの思いを知って、しあわせを感じた。というおはなしでした。
たとえ役に立たなくとも、相手を思う気持ちを込めたプレゼントが、「賢者の贈り物」だ、というのです。
でも、相手の宝物を犠牲にしたプレゼントをふたりは本当に喜べるのでしょうか。
プレゼントを選ぶとすれば、高価な品ではなく、手作りの物でもよかったはずです。
思いのおきどころが相手ばかりに偏りすぎれば、物語のように「自分を犠牲」にしてしまいます。
しあわせは、どちらか一方にあるのではなく、両方の「間(あいだ)」にうまれるのではないでしょうか。
人はみんなひとりで生きていません。
家族やなかまの間で、良いことがあれば、みんなで喜び、みんなの分喜べるから、よろこぶ機会は増えます。また、一人の不幸もみんなで悲しむことで、そのひとを孤独から救い出し、その悲しみは癒されます。
「間」や「縁」をたいせつにすることは、喜びを増やし悲しみを減らすのです。
「自分一人が我慢しておけば済む」
「心配をさせないために黙っている」
「家族に世話を掛けない」
このような考え方は、家族を大切にしたことにはなりません。
わたしたちは、いままでもこれからも、人と人の「間」に生きていきます。相手にも自分にも、どちらにもかたよらず、ちょうど良いバランスで生きられればいいなと思います。
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