大切な人との別れは、誰にとっても寂しいものです。私が住職をつとめる寺では、ご葬儀の後、ご家族ご親族が故人の遺骨などをお持ちになってお骨上げのお勤めをいたします。
これを飛騨地方では「お礼参りJと呼んでいます。ご親族と御一緒にお勤めの後、お茶やお菓子を召し上がっていただきながら、故人の思い出を語っていただく時間を設けています。
昨年亡くなられた敏雄さんは、家族だけでなく周囲の方からも慕われる気遣いの細やかな方でした。お礼参りの際、お姉さんが少年時代の敏雄さんとの思い出をお話しになりました。
「あれは敏雄が小学生のころ、母と三人で親戚に行ったときのことでした。最初にバスを降りて一人で先に行ったのに、私たちがついた時、そこにいるはずの敏雄の姿がありません。後から遅れてやってきたので、『敏雄、どうしたの?』と尋ねると『重い荷物を持ったおばあさんが前を歩いていて大変そうだったから、家まで運んであげたんだ』っていうんです。見ず知らずの人に対しても、子どものころからそういう気配りのできる優しい子でした。」
大本山永平寺をお開きになられた道元さまは、次のようにお示しになられています。
「たとえ7つの女の子であっても、人々のよき手本となることがあります。年齢や性別にこだわることなく、よき手本は積極的に見習うべきです。」と。
人権や平等が当たり前に語られる現代と違い、道元さまの教えは、封建的な鎌倉時代では普通に受け入れられる考え方ではなかったと思われます。
「われ以外みな我が師」、見習うべきよき手本は、実は私たちの周りにきっとあります。
「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」、その方は皆さんの身近な方かもしれません。
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