曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

共に生きる祈りの姿 []

岐阜 宗久寺 住職 松本広英 老師

先日、檀家のお年寄りの方から、終戦の頃のお話を伺いました。「当時は、食糧不足で一日一日食べてゆくことが本当に大変で苦労したなー」と。
食糧難の時代を一生懸命に頑張って来られた方々のお陰で今の豊かさがあると思います。とても有り難いことです。しかし、あまりにも豊かになりすぎてしまいました。
 現在、日本では一年間に食べ残しなどで廃棄される食品ロスは六百三十二万トン(2013年度推計)にのぼります。これは、日本人一人が一日ご飯茶碗一杯分の食糧を捨てていることになります。食べたいものを好きな時に好きなだけ食べることのできるような時代になり、食べられる事の有り難さを感じられなくなっている様にも思います。
古くは、縄文時代から祈りの姿があったと言われています。その頃の生活は自然が相手です。その日に山や川に出かけて行って食べ物を獲って来なければなりません。食べ物を十分に得ることの出来る日もあれば、何日も何日も食べ物を手に入れられない事もあったかもしれません。大きな自然の中では、到底自分の力や努力だけでは、どうする事も出来ないことを感じとり、そこに自然を敬い感謝する祈りの姿があったのでしょう。
私たちは、食事の前に手を合わせて「いただきます」と言います。食べ終わったら「いただきました」と手を合わせます。手を合わせる事は、色々なもののお陰で生かされていることに気付き、自分も、ほかのもののことを思い生かしてゆく。共に支え合う姿です。次の時代に、祈りの姿をしっかりと伝えてゆくことは、私たちの大切な役割だと思います。

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