皆さんは「供養」というとどういった事を想像するでしょうか?一般的にはお仏壇の前で手を合わせる事、お墓参りに行く事が供養だと言われています。中には心の中で手をあわせていますという方もいらっしゃるでしょう。しかし、供養とは亡くなった方に対してのみ行われる行為ではありません。
こう言いますと、「それなら供養とはなんだ」と思われる事でしょう。言葉そのものは、サンスクリット語の「尊敬」を意味する言葉の約と言われていますが、亡くなられた人を始め自分や自分の身の回りの人、それに関わる全ての人や、物たちが苦しみから逃れられ幸せになりますようにと願って自分の心を養っていただく事だと私は考えます。要するに、自他を問わず慈しみの心を持って物事に接する事が重要ということです。
僧侶が普段の生活の中でお唱えをする言葉の中に食事の前にお唱えをする「五観の偈」というものがあります。その最初の言葉に「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」という文があるのですが、その意味は「この食事が目の前に来るまでに色々な方々の手間がかかっている。自分はその手間に見合った生活ができているか」という事です。このように考え、心を様々な事柄に巡らすことこそが供養の本質だと言えます。
ただぼんやりと毎日を生きているだけでは、体を動かさないことと同じように心も鈍くなっていってしまいます。物事を素直に受け取れず、感動できなくなっていってしまうことでしょう。そのうちに不満や怒りで自分自身すら支えることができなくなってしまいます。そうならない為にも心を育てるという意味での供養を大切に考えてみてはいかがでしょうか。
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