「仏教とはやさしさである。」出家得度した際に師匠が私に示したのは、この言葉でした。「やさしさを忘れずに精進しなさい」と続けられました。当時の私は「そんなの当たり前過ぎる」と思ったものですが、歳を経るごとにこの言葉がとても重いものであると感じます。
悩んでいる人、失敗した人に会った時に自分は本当にやさしくその人に接することができただろうかと反省することがあります。
忙しいから、面倒だからとなおざりにしてしまったこともあります。他人の不幸は蜜の味などと言いますが、確かにそういうことがあると感じたこともあります。
幸せな人、成功した人にやさしく接することができただろうかと反省することもあります。
羨ましい、妬ましいと劣等感を感じて冷たくしてしまったこともあります。「自分には関係ない」と無関心をよそおったりしたこともあります。
やさしさは慈悲心と言い換えても良いでしょう。
昔、ある和尚から「幸せな人を妬まずに一緒に喜ぶのが慈、不幸な人を馬鹿にせず一緒に悲しむのが悲、合わせて慈悲心だよ」と教わったことがあります。やさしさや慈悲心というと困っている人、不幸な人、かわいそうな人に対する同情だと思っていた私には目からウロコの言葉でした。
人間には自意識というものがあります。他人と自分を比べて対立させ、自分のほうが勝っていると考えたい心が有ります。この心が幸せな人に会えば劣等感と感じ、不幸な人に会えば優越感を感じ、慈悲心を妨げてしまいます。
だからこそ静かに壁に向かって坐りましょう。坐禅をして自分と世界の対立が無い世界を見ましょう。自意識はこの身体に備わった機能ですから、なくなることはないですが、せめてそれに捉われて振り回されることがないようにしましょう。そうすればきっと喜んでいる人を妬まずに一緒に喜び。悲しんでいる人を馬鹿にせず、一緒に悲しむことができるでしょう。
この生きづらい人生もやさしさがあれば、きっとあなた自身も、そして周りの人もいくらか生きやすくなるでしょう。
どうかみなさんも「やさしさ」を忘れずに精進していただきたいと思います。
| top
| 前のお言葉
| 331
| 332
| 333
| 334
| 335
| 336
| 337
| 338
| 339
| 340
| 341
| 342
| 343
| 344
| 345
| 次のお言葉
|