明けましておめでとうございます。曹洞宗東海管区教化センター主催のテレフォン法話をお聞き下さってありがとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
初めて弓を引く人が、的に命中するなんて事は中々ありません。しかし、何回も繰り返し練習していれば、いつかは弓の引き方も身について的に命中するでしょう。この的に当たった時にアア最初からこんな風に引けばよかった、今までの何十回、何百回はなんて無駄な事をしていたんだ、と思ったりしませんか。
「今の一中は百不到の一中なり」と云う言葉があります。百回千回の失敗があったればこそ今の命中があるのです。ひょっとして、あなたは朝の努力が夕方には実を結ぶと思ってはいませんか。今日の頑張りが明日は花を咲かすと思ってはいませんか。たとえば今の努力が認められなくても、失敗に終わったとしても、そんな事を悩む必要はありません。
お坊さんは若い時に本山に修行に出掛けます。“頼もう。”と云う時に木の板を。パン、パンパンと
す。木の板ですから“パ−ン”とは鳴りません。パンと短く鳴ります。この短いパンとなる一瞬にこそ、私達の生きている今があるんだろうと思います。
明日やろうではなくて、今この時に精一杯やろうと云う事ではないでしょうか。
昔からよく云うじゃありませんか、「この秋は雨か嵐かしらねども、今日の務めに田の草を取る。」
或いは自分が期待した様な結果を招かなくても良いじゃありませんか。今の私の務めとして、今の私の生き方としてこの一瞬を、今日の一日を精一杯に頑張って生きる。
それは、いつの日にか実を結ぶという事ではなくて、今自分の生きているこの一瞬一瞬が実を結んだ生き方と云えるでしょう。
どうか今の一瞬を大事にして暮らして生きたいものですネ。
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