私たちは昔からお兄さんやお姉さんから、着古した服などを譲ってもらい、それを「おさがり」として愛用してきました。「おさがり」は物を無駄にせず、それを大切に受け継ぐという、とても理にかなった素晴らしい習慣です。
私は子供の頃から、お客様からいただいたお菓子などの贈り物は、まずお仏壇の仏さまにお供えするように教えられてきました。いただいてすぐその包みを開けようとすると、母親に叱られ、「まずは仏様でしょ。」と言って、お仏壇の手の届かないところにお供えされます。待ち遠しさを抑えながら、しばらく仏様に手を合わせ、母親の許しを得てから兄弟、家族で分け合って頂いたこと、その時の子供ながらに感じた何とも言えない喜びの感情を今でも時々思い出します。世にいう「おさがり」とは、本来このように仏様へのお供えを下げたものを言いました。
この仏様経由の贈り物は私たちに大切なことを教えてくれました。それは「貪(むさぼ)らない」ということです。全て自分に与えられたのではなく、もともと他人様の物を分けていただく、限りのあるものを皆で分かち合うということです。
曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師様は「分かち合うということは貪らないということだ」とおっしゃいました。与える方もそれをいただく側も、欲張らずとらわれなければ、皆にいきわたり分かち合えるという教えです。
私は今、「おさがり
をいただくことのありがたさを改めて感じています。分かち合うからこそ自ずとわいてくる静かな喜び、感謝の気持ちは、私たちを本当の幸せへと導いてくれることでしょう。
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