「今日、ひと息つきましたか」
優しく微笑みながら、そう問いかけられました。 誰から?
それは、人のときを、想う テレビコマーシャルのメッセージからでした。
あなたは、ひと息と聞きますと、何を想像されますか?
農作業の合間に木陰に腰を下ろし、お茶を一服。職場のオフィスで、仕事に行き詰まり席を離れて、珈琲を一杯。その一息(ひといき)ついた後(のち)にはホッとして、あと少し頑張ってみよう、新しいアイデアが浮かんできそう、なんて事も あったのでは。
わたくしども曹洞宗の僧侶も坐禅をする際に、「欠(かん)気(き)一息(いっそく)」という事をします。この場合、ひと息と書いて、いっそくと読みます。坐禅をはじめる前、姿勢を正した後(のち)、大きく 静かに息(いき)をはきだす事で、身体と呼吸を
坐禅にのぞめるように準備する一つです。坐禅に入りますと、
ゆっくりと した呼吸で、息(いき)を整えます。
では、ホッとする一息(ひといき)のように、欠(かん)気(き)一息(いっそく)や坐禅の後(のち)には、やる気に満ち溢れたり、新しいアイデアが浮かんできたりがあるのでしょうか。答えは「ある」と申し上げたいところですが「なし」です。
ただ、「ないけれどある、あるけれどない。」とは言えるでしょう。
それは、大本山永平寺を開かれた道元禅師さまがお示しになった
「普(ふ)勧(かん)坐禅(ざぜん)儀(ぎ)」に、非思量。これすなわち坐禅の要術なりとございまして、坐禅の重要なことは、非思量にあるとお示しでございます。
非思量とはなんでしょうか。先ず、思量とは、思考や思念、一つのことに心を留めてしまう状態を意味します。
それをしない事が、非思量と言えます。
坐禅中、頭の中に、いろいろなことが浮かんできた場合、それをそのままにしておきます。自ら消さない、追わない。それが非思量になることです。
人のときを、想う。今日のひと息(いき)、「欠(かん)気(き)一息(いっそく)」の後(のち)の坐禅から。
実際にご自身が、坐禅をおこなって感じ取ってみてください。
足を組まないイスに座っての坐禅もございます。
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