私の父は早くに母親を亡くし、それ以来、姉弟を育てたのは母方の祖母でした。小さな体のそのおばあさんは、人に対しても、物に対しても、いつでも自然と手を合わせる人でした。
朝起きて顔を洗うと、東に昇る朝日に向かって手を合わせ、小声で何かを唱えてから一日を始め、また西に沈む夕日に向かって同じように手を合わせて、やはり何かを唱えてから一日を終えたと言います。父が近寄って聞いてみると、「ナム、ナム、ナム、今日も一日みんなが仲良く暮せるように…」と言っていたそうです。
そんなおばあさんもやがて体が動かなくなり、病に臥(ふ)すと、今度は部屋を仕切っていた板戸に向かって手を合わせ始めました。なんと板戸の木目が観音(かんのん)様の姿に見えるらしく、その木目の観音様に向かって「ナム、ナム、ナム」と拝み始めたのだそうです。
最後まで祈ることを忘れず、そのまま静かに人生の終わりを迎えたおばあさん。どんなに小さな体でも、たとえ病に臥(ふ)せる体になっても、その祈りの姿が、母親を失った孫たちの心を落ち着かせ、確かに守り育てたのでした。
「南無(なむ)」とは「帰依(きえ)する」ということ、「帰依する」とは「お任せする」ということです。
毎日、朝夕の光に向かって、さらには木目の観音様に向かって、人のために祈り続けたおばあさん。彼女には、私たちが今この大自然に生かされ、もうすでにお任せしている身であるということが、よく分かっていたのでしょう。だからこそ祈らずにはいられなかったのだと思うのです。
人は誰でも痛みや苦しみを乗り越えて、祈りの中で生まれてくるといいます。人生の初めから終わりまで、人の幸せを願って、何かに向かって祈る、その祈りの姿が私たちに生きる力を与えているのだと、改めて感じることができました。
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