こんにちは、今回は布施の教えについてお話いたします。布施と聞くとお葬儀やご法事の際に僧侶に渡す「お布施」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、それだけが布施ではありません。
布施は財施、法施、無畏施の大きく3つに分けることができます。財施とはお金や物を施すことです。法施とは仏の教えを説くことです。無畏施とは不安や苦しみを取り除き安心を与えることです。これらの行いに見返りを求めたり、物惜しみの心があったりしては布施とはいえません。ものの多い、少ない、大きい、小さいなどは関係なく、ただ相手のためにということが大切なのです。
これらの布施は私たちが生活する中で気づかないうちに施したり、施されたりしていることが多くあるでしょう。私の頂いた布施のお話をいたします。
私の住んでいる地域ではご法事の後に施主家の皆様とお食事を頂くという習慣が残っております。皆様と食事をしながら世間話をしたり、お寺や仏教に関する疑問にお答えしたりしています。私にとって貴重でありとても大切な時間と思っています。
食事を進めていると「若おっさん、これも食べなさい。」とご自身の分を分けてくださいます。漁師町ということもあり、新鮮な魚介類が多いので私も喜んでいただいでおります。また、食事の終わりになり私が食べきれなかった分を包んでいると「なかなか食べられないからこれも持って帰りなさい」と言ってご自身の分まで持たせてくださいます。
今お話ししたことは財施といえます。皆さんがただただ私のことを思ってしてくださるのです。
先にお話ししたようにお金やものだけではなく、言葉や行動も布施といえます。ものの大小は関係ありません。生活の中で布施の行いを受ける、与える場面は多くあるでしょう。「ただ相手のために」という気持ちを大切にしていただければと思います。
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