『修証義』の冒頭に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と示されています。
「人生」とは一般に人がこの世に生きて行くということ。人がこの世に生きている期間のことをいいます。しかし『修証義』では『生死』という言葉が使われます。
『生死』とは生そのもの、死そのものをひっくるめた人生をいい、範囲が広くなり、内容が深まっています。
さて、人間は自分の死についていつ死ぬのか、死んだらどうなるのかなど誰にもわからないことで悩みます。いつの時代も人間は死の恐怖に悩んできました。だからこそ死の恐怖から逃れるための生き方を追求しました。よりよい生活をより意義のある人生にしていこうと求めます。他の動物は本能で死をさけることはありますが、死ぬことを気にしたりは致しません。
人間が人間の肉体と精神の面で死の恐怖から逃げるため、また人間が安心して死んでゆける人生を送るために医学や社会保障制度の整備、宗教が出来たことがよくわかります。これらは、死の恐怖に直面し、死というものと対決するため人間が築き上げてきた叡智です。
特に仏教はお釈迦様が「四門出遊」の出来事からもわかるように「生と死」、つまり「生老病死」の人生の根本問題を見極めていくことが大切なのだと説かれています。
だからこそ
『修証義』は冒頭に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と示されているのです。
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