小学生の頃の私は土曜日になると、とても楽しみにしている事がありました。
それは、母が作ってくれるホットケーキです。
私を始め妹と弟、兄弟三人はそのホットケーキが大好きでした。
学校から帰り、玄関から夢中で一直線にテーブルへ駆け寄る私に「靴を揃えてからじゃないと食べちゃダメ」と度々母から注意を受けていました。自分の靴を揃えればケーキを食べられる。その思いで靴を揃えていました。
ある時、つい我慢出来ず、靴を揃えずに食卓へつくと、案の定母に怒られ渋々玄関の方へ行きました。
すると、私の靴を揃える妹と玄関先で泣いている弟が居ました。
「早く食べようよ」声を掛けると、妹はムっとした顔で、私が靴をいい加減に脱ぎ玄関をグチャグチャにした事によって弟が中に入れなくて泣いている。その事を、怒り交じりに私へ伝えました。
靴を揃い終え食卓の方へ走って行く妹と弟、その2人の後姿を見て、なんだか悪い事をしたなと思った事を覚えています。
禅語の中に脚下照顧と言う教えがあります。
一般的には履物を揃えなさいとの意味で使われていますが、本来の意味は自分自身の足下を見なさい、つまり我身を振り返りなさいとの意味であります。
玄関でいい加減に脱いで乱れた私の靴は、「早く食べたい」その事しか考えず
後に入ってくる弟の事を何も考えない私の自分勝手な心の表れだったのです。
ホットケーキの事よりも、私の靴を揃え弟を気づかう妹はその事を私に伝えてくれたのだなと、大人になって気付かされました。
私は勿論のこと、どうしても人の心と言うものは外へ外へと向きがちです。
文明が発達し忙しいこの世の中において、自分の心に静かに向き合う事は中々困難であります。
脱いだ靴にはその人の心が表れています。
一歩立ち止まり、自分の靴を揃える、自分だけで無く、隣の靴が乱れていたら揃える。
些細な事ですがその日常の行いが、私達の思いやり育み、心を穏やかに調える大切な脚下照顧の教えなのです。
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