今は6月下旬です。飛騨高山の片田舎にある正宗寺では、戦後の農地解放でお寺の資産として残された一反余りの田圃を世話しています。田植えや稲刈りなど、近所の農家さんに大変お世話になっていますが、草刈りや水管理など住職夫婦で担っている部分もあります。
お釈迦様は「蒔かぬ種は生えぬ」と仰せになりました。種を蒔いてもそれぞれの環境条件によって作物の生育は大きく変わります。日照時間をはじめ、肥料や水やりの頻度、除草の手間によって収穫の質や量には影響があります。私たち家族が口にする食材なので、なるべく低農薬で育てています。その反面、草は生えやすくなり、草取りの手間がかかります。
水はけの悪い沼田で泥だらけになり、草を取りながら、ふと考えました。
人工知能システムなど何でも自動で対応のできる便利な商品が日々開発されています。
私自身もまたその恩恵を受ける一人と自覚していますが、スイッチ一つ、いえ号令一つ、ともすると脳裏に浮かべれば即座に反応する機械に囲まれた生活にどれほどの満足感を得られるのでしょうか。さまざまな技術革新によって助けられている人々がいる一方、少しでも楽をしようとする気持ちに負けて、体力や生きがいを失う生活をしてはいないかと感じます。
田圃を維持することはとても手間とお金がかかります。お米の消費量が減り価格も下がっています。先祖代々の田畑を荒らしてはいけないという一心で、多くの方が損得勘定を無視して農地を守って下さっています。
この法話が放送される頃には、収穫の秋を迎えています。手間をかけ美味しいと感じられるお米を味わえるよう作物の手入れをしていきたいと思います。自分の手をかければ、収穫の喜びはまたひとしおだろうと感じるからです。皆さん、飛騨高山の農地のオーナーさんになって収穫の喜びを感じてみませんか。
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