お寺に庭に百日紅の木がありました。
10年ほど前私がお寺にやってきた時にはすでに老木となっていましたが、毎年夏には縮緬に似た紅色の花を咲かせていました。
数十年という歴史を感じさせるその体は、枝の重さに耐えきれずに歪んでおり、つっかえ棒で支えてられていました。乳白色の幹は、ところどころ焦げ茶色に染まっていました。
それでもせいいっぱい花を咲かせる姿に、私は尊敬の念を抱いていました。
ある年の台風一過。地上1メートル程の所でポッキリと折れていました。幹の断面を見れば半分ほど朽ちていました。
私はいたたまれなくなり根元から截るべきかと考えましたが、その時横にいました師匠の言葉に思いを改めさせられました。「まだ完全に枯れたわけではありません。それにこの木には先代からの思いが込められています。このままにしておきましょう。」
よく見れば根元から一本の細い枝が生えています。その先にはまだいくつかの小さな花が咲いていました。
翌年もその枝はささやかな花を咲かせました。その翌年もまた翌年も。ある年ついに花は咲きませんでした。私は目を閉じ百日紅に向かい手を合わせました。よくここまで頑張りました。本当にご苦労さま。
目を開けた私の瞳には小さな百日紅の木が映りました。老木が倒れたあと傍らに植えられた若木です。寄り添う姿はまるで思いを受け継ぐかのようです。清々しい花弁に飾られています。数十年後また次の世代に思いを紡ぐのでしょうか。その時私はもういないかもしれませんが。
お釈迦様から絶えることなく伝えられてきたみ教え、それは自分だけの人生の花を咲かせることです。どこであろうとも、どのようになろうとも他に代えることのできない自己の花です。そのみ教えを伝えてきた祖師方の姿を老木と若木に見ました。
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